2007年03月11日

地獄少女二籠 第19話 「湯けむり地獄 旅の宿」

 あいと輪入道の出会い、そしてある温泉宿を巡るふたつの地獄流しを、過去と未来を織り交ぜて綴られた回でした(今回は、レビューもどきは無しでいきます)。



 またも峠に出没した妖怪が、人間に恨みを持っている…? と聞いて、茶屋の娘の手が止まります。
 この娘は間違いなくあいで、「恨み」という言葉に反応したというのがよく分かります。

 そして出会った輪っかの妖怪の言うことには、
 「俺は… 俺は… もっと走れたはずなんだ。それが悔しくて悔しくて。気が付いたらこんな姿になっていたんだ」
 それが輪入道の心残りで、峠を歩く人を「走ること」で驚かせることで、その無念を紛らわせていた、という事なのでしょう。
 それが自分を見ても全く驚かないあいと出会ったことで、彼女に何か不思議なものを感じ、少し落ち着きを取り戻したのかもしれません。
 (一目連は100年以上使われた道具に魂が宿ったつくも(付喪・九十九)神だったわけですが、ひょっとして輪入道の過去である牛車の車輪も100年以上使われていた物だった、ということでしょうか。当時の車輪の耐用年数がどれくらいあったのかは全く不明ですが…)。

 一方、とある山奥の、湯が沸き出た土地の地主は、あとは息子と祝言をあげるだけ、という女性を切り捨て、湯宿を開くため、有馬の温泉宿の娘を嫁に迎えようします…って、それは恨まれても文句は言えないのではないでしょうか。
 地主や土地の者にとって有益であることと、個人の感情を量りにかければ、後者の方が優先と言われても、それで全て納得出来うるものならば、恨みや憎しみといった感情は発生しないでしょうしね。

 一方あいは、いつか地獄で朽ち果てるまで俺は走り続けるしかない―と言う輪入道に、地獄のことを教えてあげるから来なさい、と輪入道を(人間バージョンにして?)その土地から連れ出し、上記の湯宿へ。

 そこの近くの神社で「地獄絵馬」を輪入道に見せ、その説明をするあい。なるほど、この時代は絵馬なんですね。
 しかし、新聞の「尋ね人欄」の空白部分に、恨みを持つ人が見ると字が見える…的な設定ではなく、黒い絵馬=地獄絵馬というのは個人的にはイマイチでした。
 新聞同様、恨みを持つ人のみに「あなたの恨み、晴らします」の文字が見えるという設定の方が良かったのでは…? と、自分的には感じました。

 自分も地獄へ堕ちるのにそんな人いるのかねえ…と半信半疑の輪入道に「いるわ」とあい。
 この時、今期では初回以来と思われる人面蜘蛛が登場。
 正確には以前にも出番はあったかもしれませんが、自分にはその記憶が無いせいか、いたく懐かしく感じてしまいました。この頃はかなり蜘蛛の監視も厳しかったんだろうなあ…と、つい前期を思い出してしまったりも(笑)。

 あいはいつものようにタミの前に現れ絵馬の説明をします。
 が、自分も地獄へ堕ちると聞いてもタミは糸を引き、輪入道はそういう人間も確かにいる、という事実を目の当たりにするわけです。これは「地獄を見せてあげる」という意味の一端もあるのかもしれません。

 そして現代では、温泉宿の若女将(?)・百合江が、女子高生・伊知子に弱みを握られ、嫌味や嫌がらせ、ゆすりなどを受けています。
 伊知子に、素っ裸で湯船から部屋まで走らされ、部屋にたどり着いた時には地獄通信にアクセスしますが、この時の狂気じみた薄笑いを浮かべた表情の怖さといったら…

 その後、大勢の人前で伊知子にビンタを喰らわされたことで、女将の怒りと限界は頂点に達し、ついに糸を引き解きます。この時の着物の袖(腕)の動きがタミの時と何となく似ていて、少し意識しているのかな、と感じました。

 伊知子へのお仕置きで、マグマ風呂になんか入れるわけないでしょ、と抵抗する伊知子に、大丈夫入ってる人がいるよ、と一目連が指差した先にいたあいが、おいでおいでしたシーンは、久しぶりにコントっぽくて(?)笑ってしまいました。その後の「そーれ」で全員で飛び込むところもなかなかです(笑)。

 そして女将が地獄流しをしてまで守ろうとした宿の秘密は「温泉偽造」でした。
 ここの温泉はもう数年前に枯れ、入浴剤を入れているところを女子高生に見られてしまい、(多分写メか何かで、現場を撮られてしまったのだと推測)ずっと強請られていたのだと女将は語ります。
 しかし女子高生は、自分に何かあったらすぐにマスコミに秘密のことがばれるよう友達などに頼んであり、秘密は白日の下に晒されることになってしまった…と。

 この虚しい結末なあたりは地獄少女ならではですが、過去タミが「この宿はもう終わりよ」と思っていたものの、(有馬から迎えた嫁の手腕が良かったのでしょう)宿は続いていったという、タミにとっては恨めしい結果となってしまったのと同様ですね。
 つまり現代になって、ようやく子孫の手によってタミの無念が晴らされた…とも思える結末になっているところにも、因縁めいたつくりにしているな、と感じました。

 因縁と云えば、「最初の客が最後の客」という設定もそれっぽいですね(道端の地蔵がずっと変わず残っている、という小道具の設定もいいですね)。

 そういえば、女将が「400年続いたこの宿も今日で終わり」と言っていたところを見ると、輪入道があいの仲間になったのは、あいが地獄少女となって間もなく、ということなのでしょうね。
 見た目だけではなく、あいとのつきあいも一番古いというわけで、仲間内でも信頼が厚いとみてよさそうです。

 また、今回は温泉が舞台ということもあり、色々とサービスシーンも多かったと思います。
 自分的には、輪入道ときくりとの、「じいちゃんと孫」的シーンに和ませて頂きました。

 そしてラスト。
 「(私と)一緒に来なさい」とあいに言われ、お供ってのは性に合わねえ、と答えた輪入道に「ならば(私の)足(脚)になりなさい」と言ったあい。

 これはつまり「私の足となって走り続けなさい」であり、「俺はもっと走れたはずなんだ。それが悔しくて悔しくて…」と言った輪入道に対して、「これからも(私の足として)走り続けていいのよ」という、救いと云うか開放というと大げさかもしれませんが、そういう意味があるように感じられました。

 ですが逆にこういう意味にもとれます。
 「人の恨みは尽きない。貴方があの峠で走り続けていたように、全てが地獄で朽ちるまで…」の言葉に示唆されるように、「地獄で朽ちるまで(ほぼ永遠に)走り続けなさい。私の足として…」という戒め・楔的意味があるように受け取れなくもありません。

 ですが、自分は前者の意味だと感じました。
 あいは輪入道の無念を、「走る」ことによってしか晴らせないその思いを、引き取ったのだと…

 だから輪入道は、「あのまま地獄で朽ち果てるところだったのをお嬢に拾われた」(前期)と言ったのでしょうね(多少後付けっぽい感はありますが…)。

 あと、足になりなさいと言われた後の、輪入道の「参ったな」的な台詞回しが、ちょっと切な気でそのくせ嬉しさが滲んでいたりして、声優さん流石だな…と感じました。



 さて次回は、女子高っぽい感じの女の子同士の友情と憎しみを描いた回のようです。
 普通なら「あの人を地獄へ流して」となるのですが、 “あの人” という言葉が抜けているので、ひょっとしたら自分で自分を地獄行きにするというお話になるのでしょうか。
 また、松葉杖が部屋に放り出されているところを見ると、怪我をした・させてしまったのが何か起因しているのかもしれません。
 一目連の「永遠なんて無いんだよ(意訳)」もキーワードなのでしょうか。


posted by セレネ at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 地獄少女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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